麻酔前に「この子、麻酔をかけても大丈夫ですか?」と聞かれたとき、あなたはどう答えますか?
「獣医師が判断することだから」と思っていませんか?たしかに最終判断は獣医師が行います。しかし、動物看護師が麻酔前評価の内容を理解していなければ、準備の質も、異常への気づきも、獣医師へのサポートも変わってきます。
この記事では、犬猫の麻酔前評価の手順とASA-PS分類について、愛玩動物病院専門の当サイトが詳しく解説していきます。
なぜ麻酔前評価が必要なのか——「麻酔は手術の前から始まっている」
麻酔のリスクは、麻酔薬を投与した瞬間だけにあるわけではありません。
動物の体の状態によっては、同じ薬・同じ量でも、ある子には安全で、別の子には危険になります。麻酔前評価とは、この「その子にとっての安全な麻酔」を設計するための情報収集です。
麻酔前評価でわかること
麻酔前評価を行うことで、次のような情報を得られます。
- その動物が現在どのような全身状態にあるか
- 麻酔に影響を与える既往歴・持病があるか
- どの薬剤を避けるべきか、または減量すべきか
- 術中・術後にどんなリスクが起こりやすいか
- 緊急対応の準備として何を用意しておくべきか
これらの情報は、麻酔プロトコルを組み立てるうえで欠かせません。
動物看護師として薬剤を準備するとき、「なぜこの薬を使うのか」「なぜこの用量なのか」を理解するためにも、麻酔前評価の内容を把握しておくことが大切です。
麻酔前評価の3つの柱——問診・身体検査・検査
麻酔前評価は大きく「問診」「身体検査」「臨床検査」の3つで構成されます。
①問診(飼い主からの情報収集)
まず行うのは、飼い主から情報を集めることです。
動物は自分で症状を訴えられません。だからこそ、飼い主から得られる情報が麻酔前評価の出発点になります。
問診で確認すべき主な項目
- 年齢・体重・品種・性別
- 現在の食欲・飲水量・排泄の状態
- 過去の麻酔歴と、そのときに問題がなかったか
- 現在服用中の薬(サプリメント含む)
- アレルギーや薬剤反応の既往歴
- 持病(心疾患・腎疾患・肝疾患・てんかんなど)
- 最終飲食の時間(絶食・絶水の確認)
例えば、「以前の麻酔のとき覚めるのにすごく時間がかかった」という情報があれば、薬剤の代謝機能に問題がある可能性を疑うきっかけになります。
絶食・絶水の確認は特に重要
麻酔中は嘔吐反射が抑制されるため、胃の内容物が気道に入る「誤嚥(ごえん)」のリスクがあります。
これを防ぐために、手術前の絶食・絶水が必要です。一般的な目安は「固形物は12時間前まで、水は4〜6時間前まで」ですが、動物の年齢・病態によって変わります。飼い主への事前説明と、当日の確認を忘れずに行いましょう。
②身体検査(フィジカルアセスメント)
問診で得た情報をもとに、実際に動物の体を観察・触診・聴診して状態を評価します。
麻酔前に必ず確認する身体所見
- 体重と体型(BCS:ボディコンディションスコア)
- 粘膜の色(ピンク・蒼白・チアノーゼなど)
- 毛細血管再充満時間(CRT):正常は2秒以内
- 心音・肺音の聴診(不整脈・雑音・異常呼吸音の確認)
- 呼吸数・脈拍数・体温
- 脱水の有無(皮膚テント・眼球の陥没など)
- 腹部の張り・疼痛の有無
- リンパ節の腫れ・外傷・皮膚状態
例えば、聴診で心雑音が聴取された場合、心疾患の可能性があり、麻酔プロトコルの変更や循環管理の強化が必要になることがあります。
動物看護師として身体検査の補助に入る際は、これらの所見が麻酔管理にどう影響するかを意識しながら観察することで、理解が一段と深まります。
③臨床検査(血液・画像・その他)
全身状態をより詳しく把握するために、各種検査を行います。
基本的な術前検査の内容
- 血液検査(CBC:全血球計算、生化学検査)
- 尿検査
- 胸部X線(心臓・肺の状態確認)
- 心電図(ECG)
- 腹部超音波(必要に応じて)
特に血液検査は重要です。肝機能(ALT・AST)や腎機能(BUN・クレアチニン)の数値は、麻酔薬の代謝・排泄に直接影響します。
『なぜ血液検査が必要か』 肝臓は多くの麻酔薬を代謝し、腎臓は排泄します。これらの機能が低下していると、薬が体内に長くとどまり、覚醒遅延や副作用が強く出るリスクがあります。数値を見て「この子は代謝が遅いかもしれない」と考えることが、安全な麻酔につながります。
検査の種類と範囲は、動物の年齢・病態・手術の緊急性などによって獣医師が判断します。若くて健康な動物なら最低限の検査で済むこともありますし、高齢や持病がある場合はより詳細な検査が必要になります。
ASA-PS分類とは何か——麻酔リスクを5段階で評価する
麻酔前評価で収集した情報をもとに、動物の全身状態を分類するための基準が「ASA-PS分類」です。
ASA-PSとは「American Society of Anesthesiologists Physical Status(米国麻酔科学会身体状態分類)」の略称で、もともとは人の麻酔管理で使われていたものが獣医麻酔にも応用されています。
ASA-PS分類の5段階——それぞれの意味
| 分類 | 全身状態 | 具体例 |
|---|---|---|
| ASA I | 正常・健康な動物 | 若くて健康な動物の避妊・去勢手術など |
| ASA II | 軽度の全身疾患あり | 軽度の肥満、軽微な心雑音(無症状)、コントロールされた糖尿病など |
| ASA III | 中等度の全身疾患あり | 代償性心疾患、中等度の腎不全、貧血(中等度)など |
| ASA IV | 重篤な全身疾患あり(生命の脅威) | 非代償性心不全、重度の腎不全、ショック状態など |
| ASA V | 手術なしでは24時間以内に死亡が予測される | 多臓器不全、重篤な外傷・出血性ショックなど |
ASA IとIIは比較的リスクが低く、標準的な麻酔プロトコルで対応できることが多いです。ASA IIIからはリスクが上がり、麻酔プロトコルの工夫やより厳重なモニタリングが必要になります。
緊急手術の場合は「E」を付ける
緊急手術が必要な場合は、ASAクラスに「E(Emergency)」を付けて表記します。
例えば「ASA III E」であれば、「中等度の疾患があり、かつ緊急手術が必要な状態」を意味します。
緊急手術では評価に使える時間が限られるうえ、動物の状態が不安定なことも多く、麻酔リスクが大幅に高まります。このため通常よりも慎重な対応と迅速な準備が求められます。
ASA分類はなぜ動物看護師にも必要な知識か
「分類するのは獣医師の仕事」と思うかもしれません。しかし、ASA分類を知っていると、動物看護師としての準備の質が変わります。
例えば、ASA IIIの動物が入ってきたとき——
- 緊急薬(アトロピン・エピネフリンなど)をすぐ使える場所に準備する
- モニタリング機器を早めにセットしてアラーム値を確認しておく
- 輸液ラインを確実に確保する
こうした判断が自然にできるようになるのは、ASA分類の意味を理解しているからです。
麻酔前評価で注意が必要な疾患・状態
犬猫の麻酔において、特に注意が必要な状態をいくつか取り上げます。動物看護師として知っておくことで、術前準備の判断に役立てましょう。
心疾患
犬では僧帽弁閉鎖不全症(MVD)、猫では肥大型心筋症(HCM)が多く見られます。
心疾患があると、麻酔中の心拍数・血圧の変動に対する代償能力が低下しています。麻酔薬による心機能の抑制が重大な低血圧につながるリスクがあります。
例えば、術前の心エコー検査で心臓の状態を把握しておき、麻酔中の血圧管理をより厳重に行う準備が必要になります。
腎疾患・肝疾患
腎機能が低下していると、麻酔薬の排泄が遅れて覚醒遅延や副作用が出やすくなります。
肝機能が低下していると、多くの麻酔薬の代謝が滞ります。術中の輸液管理や薬剤選択に特別な配慮が必要です。
短頭種(ブラキセファリック)
フレンチブルドッグ・パグ・ボストンテリアなどの短頭種は、鼻腔・気道の構造上の問題(軟口蓋過長・鼻孔狭窄など)から、麻酔中の気道管理が特に難しくなります。
覚醒後の気道閉塞リスクが高いため、完全に覚醒して自発呼吸が安定するまで、通常よりも長く気管チューブを留置しておくことが多いです。
高齢動物
高齢動物は、複数の臓器機能が低下していることが多く、また薬への感受性が高まっている場合があります。
若い動物と比べて少ない薬剤量で深い麻酔になることもあるため、モニタリングをより細かく行い、変化に素早く気づくことが求められます。
『動物看護師として意識したいこと』 麻酔前評価の内容を知っておくと、術前準備・術中モニタリング・術後ケアのすべてに「根拠」を持って関わることができます。「この子はASA IIIだから、血圧計のアラームを早めに設定しよう」という判断が自然にできるようになることが、現場での成長につながります。
麻酔前投薬(プレメディケーション)との関係
麻酔前評価の結果は、そのまま麻酔前投薬(プレメディケーション)の選択に反映されます。
プレメディケーションの目的
麻酔前に行う前投薬には、次のような目的があります。
- 不安・ストレスを和らげる(鎮静・抗不安)
- 先取り鎮痛(Preemptive Analgesia)を行う
- 必要な麻酔薬の量を減らす(スペアリング効果)
- 自律神経反応を抑制する
ASA Iの健康な動物には標準的なプレメディケーションが使えますが、ASA IIIの心疾患を持つ動物には、心機能を抑制しにくい薬剤を選ぶ必要があります。
麻酔前評価 → ASA分類 → プレメディケーションの選択、という流れが一本の線でつながっています。この流れを知っておくことで、薬剤準備の「なぜ」が理解できるようになります。
まとめ
- 麻酔前評価とは、「その動物に合った安全な麻酔」を設計するための情報収集
- 問診・身体検査・臨床検査の3つの柱で全身状態を把握する
- ASA-PS分類はI〜Vの5段階で麻酔リスクを表し、緊急時は「E」を付ける
- ASA IIIからはリスクが高まり、より厳重な準備とモニタリングが必要
- 心疾患・腎疾患・肝疾患・短頭種・高齢動物は特に注意が必要
- 麻酔前評価の内容を知ることで、術前準備の「なぜ」が理解でき、看護の質が上がる
次の記事では、実際の犬猫の麻酔プロトコルの流れ——前投薬・導入・維持のそれぞれのステップを詳しく解説します。麻酔前評価の結果がどのようにプロトコルに反映されるかを知ることで、麻酔補助の理解がさらに深まります。
参考資料
佐野忠士(2010)『動物看護師のための麻酔超入門』インターズー
獣医臨床麻酔学 学窓社
Grimm KA et al.(2015)Veterinary Anesthesia and Analgesia, 5th ed. Wiley-Blackwell


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